一生忘れない出来事の備忘録

最近Uターンをするも、Uターン詐欺に遭い、Sターンしそうな20代男性。現在無職。

20代の真ん中でUターン詐欺に遭った①

 

はじめまして。

私はニートの20代男性である。

 

この度、どブラック企業を辞めて(正確には辞めさせられて)

敏腕自宅警備員になった。

 

 

■自己紹介

私の浅い経歴を簡単に。

 

 ど田舎で爆誕

→地元では頭のいい、いわゆる「模範学生」

→大学から晴れて華の都TOKYOへ

→そのまま東京の企業で就職

→3年間勤務

知人の誘いで地元に戻りスタートアップの企業に入社

→数か月で退社

→ど田舎ニート爆誕

 

といったところである。

 

まだ読むのを辞めないでほしい。

もうちょっと頑張ってみてほしい。

泣きたいのはこっちだ。

 

■目的

ここでは、

ブラック企業がいかにひどかったか」といった

ブラック企業あるあるを言いたいわけではない。

 

本投稿で伝えたいことは、

 

「地元に戻って何かしたい若者が

実際に戻ってみたらUターン詐欺にあったから

今後Uターン考えている人はこれみて反面教師にしてね」 

 

「もう被害にあっちゃってて、

どうしようか抜け出せない人もこれ見て戦い方を学んでね」

 

である。

 

ただ「転職に失敗した」とは訳が違って

Uターンだからこそ、移住+転職で背負ってくるもの大きかったりとか、

愛を持って戻ってきたまちで夢が崩れていく絶望感とか、周りの評判とか、

小さい経済圏であるほど話が伝わるのも早いしインパクトも大きい。

だからこそ同じようなことは起こってほしくないし、

避けられるのであれば避けてほしい。

 

これがもし、奇跡的に、経営者の目に留まることがあるのであれば

生意気口を叩くが、実状を知り、改善に努めてほしい。

 

 

かつての私もそうであったが、

「U・Iターン」「地方創生」「まちづくり」

という言葉だけに取りつかれてしまっているアナタ。

一度、私が経験した地獄を見てほしい。

 

地方の実状(一例)と

それと戦うための手法(一例)を

お伝えしたい。

 

そのため私がUターンを決意したきっかけや

それに付随する私の経歴をもう少し詳細に話すが、

ご了承いただきたい。

 

ちにみに今は、転職活動をしつつこのブログを綴っている。

まごうことなきニートだが、

今まで未払いだった残業代もすべてもらい、

会社都合の退職のため失業手当もすぐもらえていて、

副業(主な業もないけど)で小銭を稼いで暮らしているので

精神的には落ち着いています。ご心配いただき、ありがとう。

 

本題に移ろう。

 

 

■目次

phase1.「もういいかな」の気持ちで転職を考える

phase2.天邪鬼就活を後悔 -実は地元に戻りたかった-

phase3.知人の紹介とかいう得体のしれないヤツ

phase4.地方経済/地方企業の実状

phase5.私の戦い

phase6.学びと今後

 

※今日はphase1,2 まで

 

 

 

phase1

「もういいかな」の気持ちで転職を考える

 

25歳。

新卒で入社した広告会社で働き始めて3年目。

正直私の仕事はノリにノっていた。

 

マーケティングや広告代理業務、

一部コンサルのような仕事の営業をしていた私は

受注件数が増え始め、同期や先輩も超えるような売上を上げていた。

 

ただ、ずっとモヤモヤとした感情があった。

キャリアに対するビハインドを常に感じていた。

 

業務内容も社員の雰囲気もすごくいいが、

この年次でこの給料は割に合わない、、

経験値は確かに上がった。

でも明らかにほかの大学の同期とは生活の質が違うし

コロナも相まって、倒れはしないものの業績は不振。

ここは安定した船ではない。そう感じていた。



「もういいかな」



この思いは3年目になって自分一人では抱えきれないほど大きくなっていた。

 

転職サイトにも登録した。

周りの友人にも相談し始めた。

 

そんな社会人3年目。




phase2

天邪鬼就活を後悔 -実は地元に戻りたかった-

 

転職の話の前に、私の大学時代の話をしたい。

 

大学時代、

私はまちづくりを学んでいた。

 

私の行っていた大学には珍しく(今はたくさんあるのかも)

まちづくりを学べるコースがあった。

 

ほかにもある様々なコースの中でも

国際関係(英語にはすっかり飽きていた)や

経済学(どうしても簿記をしたくなかった)、

社会学(先生があまりに右翼でウッとなっていた)など、

どれにもあまりピンときていなかった私は、

ひらがなの多い楽しそうな名前の「まちづくり」コースに進んだ。

 

決してラクなことはなかった(むしろきついコースだった)が

座学では景観保護や土地活用などハード面も学び、

空き家の活用プロジェクトに参画したり

ゼミで一つの街に入り込んで地元の人と交流しながら

マルシェイベントをしたり、町内会に参加したり、と

それなりにまちづくりにのめり込んでいた。

 

当時は「卒業できるならやるかあ」くらいの気持ちで取り組んでいたが、

今思えばすごい貴重な経験をしていたと感じる。

 

しかし、就活の時期がやってきたとき、

ディベロッパーや鉄道会社や住宅メーカーなどの

まちづくりに関する職に応募する周りの人たちを見て

 

「ははっ、たかだか本気でやったのは1年くらいなのに

みんな揃いもそろってまちづくり系の職に就くなんて。笑」

 

と意味の分からない天邪鬼な感情が出てきてしまい

私は華やかなイメージとクリエイティブな職に携わりたい

というミーハー心だけで広告業界だけに絞って就活をした。

 

【解説】私はとにかく考えすぎる性格で、考えが何周か回って最終的に意味の分からない方向に帰結することがしばしばある。ちなみに就活の時は、別に面接がパツパツで忙しいわけでもないのに集中して思考を巡らせるためにバイトをすべて休んでいた。

 

なんとか小さい広告代理店に内定をもらえたが、

テレビCMやWeb広告がそんなに好きでもなかったことには早々に気づいた。

 

幸いなことに、同期や先輩社員などには恵まれ、

様々な大手メーカーと仕事ができることは私のミーハー心を程よく刺激してくれたため

あまり知識のない業界でもなんとか3年間仕事が続けられた。助かった。

 

 

が、

いつだってこの想いはすぐそこにあった。

 

 

 

「地元にもどってまちづくりがしたい」

 

 

 

 

したかったのだ!!!!!

 

 

実は地元に戻りたかったのだ!!!!!

 

 

だが、ずっとこの感情に蓋をしていた。

ぶり返したところで天邪鬼でミーハーで愚かな就活時代の自分を責め立てるだけだ。

あの時まちづくりの業界を選ばなかった自分が悪い。

もう広告業界に片足どころか両足突っ込んで

バタ足してシンクロナイズドスイミングくらいしている。

泣いても逆立ちしても綺麗な技を決めても「地方創生」や「まちづくり」の仕事は

今の会社ではできないのだ。

 

 

今の会社では。

 

 

 

 

続きはまた次回。