一生忘れない出来事の備忘録

最近Uターンをするも、Uターン詐欺に遭い、Sターンしそうな20代男性。現在無職。

20代の真ん中でUターン詐欺に遭った②

 

こんにちは。

ニートの20代男性です。

(普段名乗ることのない自己紹介に自分でも戸惑っています。)

 

今日は前回のこの記事↓

tsunatya.hatenablog.com

の続きです。

読んでいない方はこちらから読んでみてください。

 

ざっと私の経歴をお話ししたので今回はいよいよUターンのお話を。

 

 

■目次

phase1.「もういいかな」の気持ちで転職を考える

phase2.天邪鬼就活を後悔 -実は地元に戻りたかった-

phase3.知人の紹介とかいう得体のしれないヤツ

phase4.地方経済/地方企業の実状

phase5.私の戦い

phase6.学びと今後

 

 

phase3

知人の紹介とかいう得体のしれないヤツ

 

今いる会社では

「地方創生」や「まちづくり」の仕事はできないことに

本格的に嫌気がさしてきた頃。

 

かねてからの知り合い(仮称:A氏)から連絡が入った。

 

A氏と知り合ったのは社会人1年目の終わりのころだ。

 

母からある日、

「あんたがやりたいことに近いことやっている人が●●(私の地元)にいるわよ」

と連絡が入り(母にはそういった職に就きたいことを少し話していた)、

ざっと詳細話を聞いたあとすぐ連絡先をもらい、

「夏休みの間に(あなたが経営する店に)働きにいくので話を聞かせてください!」

と半ば強引に話を聞かせてもらいに行ったのが出会いだった。

 

A氏は私の道場破りのような打診を快く引き受けてくれた。

 

初めて対面したA氏は、

私と私の母のちょうど間くらいの年齢の人で

物腰が柔らかく、物事をよく考えている人だった。

 

経営しているお店がどのくらいうまくいっているか、

お店のほかにも観光や教育などでまちづくりに関わっていること、

この町の税金の使われ方、

それがいかに地域の継続性を阻んでいるか、

このまちには何が必要なのか、

未来の展望、自分の経歴、仲間について、、、

話す内容や言い方に嫌味がなく、

とにかく色んな話をしてくれた。

 

その時の私は、正直圧倒された。

 

まちづくりで使われる言語を当たり前に使える大人は

大学の先生以外では見かけたことがなかったのに

この人たちとは同じ言語で話せる。(上からの言い方になって申し訳ない)

そしてそんな人が私の育ったど田舎に、いる。

 

私の地元に対する考え方が大きく変わった瞬間だった。

 

何にもない、なんてことはない。

このまちはポテンシャルがある。

物的資源は弱いかもしれないが、

ただこのまま人口が減っていって何も抗えずに衰退していくような

まちではないかもしれない。

わたしも地元に戻ってなにかできるのかもしれない。

 

そう思った。

 

それからもA氏との関係は続き、

帰省のたびに話を聞きに行ったり、

たまにLINEで「今こんなことをしている」といった連絡が来ては、

周りの誰にも話せていないまちづくりに対する想いを

送っては共感してもらっていた。

 

 

そんなA氏から、

このタイミングで連絡がきた。

  

「新しい事業を始めるから一度話を聞いてくれない?」

 

私はすぐに返信をした。

 

「ききます!いつがいいですか?●日か▲日空いてます!zoomでいいですか?URL送りますね!」(原文ママ)

 

食い気味にもほどがある。

 

ただ私は、とにかくそのとてもおいしそうな話をすぐにでも聞きたかった。

おいしそう、というかもう食べていたと思う

おいしい、って口に出して言っていたと思う。

ごちそうさま、まで言っていたかもしれない。

 

その時はすっかりコロナ禍で、

仕事でのWebミーティングにも飽き飽きしていた頃だったが

この日ばかりはわくわくした気持ちで10分くらい前から待機していた。

 

A氏からの話を要約すると、

「来年から新しい事業を始めて事業規模を大きくするから

そのメンバーになってくれないか?」

という内容だった。

 

しかもお給料は今の会社の手取りとさほど変わらない額。(少し落ちるが数千円程度)

ボーナスはないが、実家に戻れるし田舎の物価は安い。

日々垂れ流しの生活費や家賃代が浮いたらトントンくらい。

 

この話、断らない理由がないと思った。

 

私はその日以降、登録していた転職サイトを見ることはなくなっていた。

 

気持ちはほとんど傾いていたが、

一応、母や兄(IT企業勤め給料良し)や友人たちに話を聞いてもらった。

 

打算的に生きている兄だけが懐疑的な反応を示していたが

「また言ってらあ」と受け流し、

同じ大学でまちづくりを学んでいた友人にも背中を押してもらい、

私は、こち亀の大原部長の頭くらい固い意志とともに腹をくくった。

(体の部位が2個も出てきて分かりづらかったかもしれない、申し訳ない。大原部長の件はググれ。)

 

 

「行くなら今だな。」

 

 

 

かくして、

私は知人の紹介とかいう得体のしれないルートで

転職活動を終えた。

 

 

【解説】ここでひとつだけ解説を入れておきたいのだが、知人の紹介というルートすべてを批判したいわけではなく、そういうのって知り合いだからこそ聞きたいことが聞きづらかったり、転職活動においては一般的な「交渉」ができないから注意だよ、ということで解釈してもらえれば幸いです。自分の職場環境を整える・確認するのはキャリア形成においてとっても大事。

 

 

3年働いた会社に別れを告げ、(まあまあ引き留められた)

ルームシェアも半ば強引に解消し、(ごめん、友よ)

時節柄小さなお別れ会を催してもらい、餞別なんかを頂き、

私も大学から今までの間で関わってくれた

たくさんの人たちに手紙を書き、別れのプレゼントを渡し、

大好きな場所と、人と、思い出がたくさんの東京を去った。

 

とても涙もろい(忠実な犬とか出てくる映画は必ず泣く)私だが、

不思議と別れ際、涙は出なかった。

これから本当にやりたいことができる喜びのほうが

少し勝っていたのかもしれない。

 

久しぶりの実家。

これからいつまでになるかは分からないが

おそらくある程度の長い期間はここで住むことになる家。

懐かしくて喉の奥がきゅっとなる。

 

東京の家で使っていた家具を実家に連れてきて

なんとか住めるくらいには整えた部屋を見て

「今日から始まるぞ。」

とか独り言を言ってみたりした。

 

 

その日から私のUターンライフが始まった。

 

 

 

中々長くなってしまったので

phase4はまた次回。