一生忘れない出来事の備忘録

最近Uターンをするも、Uターン詐欺に遭い、Sターンしそうな20代男性。現在無職。

20代の真ん中でUターン詐欺に遭った④

 

こんにちは。

前回からだいぶ間がいているにもかかわらずまだニートの20代男性です。

 

本日もこのブログ↓の続き。

今回で最後かな。

tsunatya.hatenablog.com

 

転職活動が佳境に入り、

自分のスケジュール的なところと

精神的なところでニートなりにもがいていたら

間が空いてしまいました。

 

今回で④となりますが、

必要な人にとっては一番実用的?な回に

なるのではないかと。

ハロワとのやりとりとか、

A氏とのやりとりとか、

どうやって辞めたのか、とか

赤裸々に話していこうと思います。

 

それでは本題へ。

 

 

■目次

phase1.「もういいかな」の気持ちで転職を考える

phase2.天邪鬼就活を後悔 -実は地元に戻りたかった-

phase3.知人の紹介とかいう得体のしれないヤツ

phase4.地方経済/地方企業の実状

phase5.私の戦い

phase6.学びと今後

 

 

phase5

私の戦い

約束の額に満たない給料、

200時間を超える勤務でも支払われない残業代、

従業員の勤務時間を管理しないオーナーA氏、

催促しても一向に渡されない雇用契約

 

そのほかにも

初月以降希望休を2日もらえることになったが

オーナーの都合で勝手にお店が休みになり

希望休がつぶされる、など。

 

身勝手で管理能力の低いA氏の経営体制に対

する不信感と将来への不安と憤りで

私の精神は徐々に擦り切れていった。

 

何よりも私が嫌だったのは、

副業なのか経営者の会に参加するとかなんとか

忙しいことにかこつけて我々に向き合う時間を

設けなかったことだ。

 

私は従業員の不満が出始めてすぐ、

「この状況はまずい」と思い話し合いの機会を

設けることをお願いした。

 

ただ、A氏は自分の学んだこと(持論ではなく他者からの話)や自慢話や他の経営者に対する愚痴は一方的に話してくれるが、

このお店をどうしたいのか

会社の方向性は何なのか

目標は何なのか

そのために我々に求めていることは何なのか

そういうことを話してもらう時間や

みんなで日々感じていることを共有する時間

業務改善のためのミーティングをお願いしても全く向き合ってくれなかった。

(それまで普通の会社に属していたため目標に対する意識が高かったとは思う)

 

30分でもいい、15分でもいい、

包丁を置いて、皿洗いの手を止めて、

膝と膝を突き合わせて話し合う時間が欲しい、と言った。

毎日顔を合わせているが、

レストランを営業する時間と

個々の気持ちを汲み取る時間は

別で儲けるべきである

なぜなら営業時間は

自分の人生や将来設計については考える時間

ではないから。

 

が、

結局入社してから一度も1対1での話し合いは

行われなかった。

 

従業員の中には新卒の子もいた。

初めて入った会社がこれでは、

今後に支障をきたす。

一番不安を感じているはずで

一番手をかけなければいけない人材から

知らないのをいいことに、

うまいように労働力だけ搾取しようなんて

バカげている。

ふざけないでほしい。

 

もう一人の従業員は退職届を出していた。

賢明すぎる。

 

 

・・・

 

 

ある日、私は終業後のA氏をとっ捕まえて

あまり言葉を選ばずにすべてを話した。

限界だった。

 

目標を示してくれ、

私たちの努力の方向性は正しいのか、

どの方向性に進めばいいのか、

地図もなくゴールもなく走り続けられない

何のために休みもなく働いているのか、

今後改善されるのか、

従業員は不満も不安も感じている、

このままずっと不協和音がし続ける会社は嫌だ

 

涙声だったと思う

こんなバカみたいな内容を

私が声をあげて話さないと伝わらない

人間だったなんて

悲しかった

こんな人間の言葉を信じてUターンしたなんて

自分もバカだと心底思った

 

ただ話し合わないと何も変わらない

私は私の地元に絶望したくない、

その一心でありのままを話した

 

最初は仕込みの片手間に聞いていたA氏だが、

私のただならぬ雰囲気に何かを感じたのか、

手を止め言った。

 

「いやあ、僕がゴールを示さないといけないんじゃ君たちの成長じゃないでしょ?

その答えを示さないと動かないなんて。

答えを言うことがマイナスのスタートになるけど大丈夫?

僕は待っていたんだよ、君たちが動き出すのを。

僕が若いころはね?0時超えて仕事をして、朝5時にまた厨房に立って

それでも自分には料理人の夢があったから必死に働いて・・・(以下、自慢)

なのに今の君たちの働き方はバイトと変わらない

第一、今のお給料はほかの飲食店の人と比べたら結構もらってるんだよ?

もっと時間の感覚なく働いてもらわないと。笑・・・」

 


ああ、話にならない

この人は今考えたみたいな浅はかな考えを

安易に人に話せてしまう人で、

自分の今喋っていることの矛盾にも気づかず、

マイナスの経験を自分の会社の従業員にも

させてそれが正解と思っているんだ

 

もっと言ってやりたい、言い返してやりたい、

矛盾を刺してやりたい、

でももう戦闘する必要がない、

おかしい思想の人だったんだ、

ああなんだ、そういうことか、そういうことか、、

 

強烈な絶望感で頭が真っ白になった。

このまま帰ろうかとも思ったが一言だけ言った。

 

「全体の話し合いを設けてください。

その場で今私に言った考えを伝えてください」

 

 

そして次の日、

唐突に全員を集めたA氏はこう言った。

 

「みんなが考えていることはよくわかりました。

みんながすり減っていることもわかりました。

法律の範囲内で働きたいと思っているということなのであれば、

契約書はこれになります。」

 

そういって手渡された契約書は

・9-18時定時

週休2日

・残業代は超えた分支払う

・ただし、基本的に残業はなし(オーナーの気分で就業時間を指定)

・基本給が約束より約3万減

※破り捨てたので手元にないが、ほぼこれに近い内容だったはず。

 

上記の内容だった。

 

笑えた。

私たちの労働の対価はアルバイトと変わらない金額。

そしてそもそも法律の範囲内で働かせる気が

なかったということを

口に出してきたのでさらに笑えた。

 

私はその瞬間、

一緒に頑張っていこうと思っていた相手を

今後戦う敵として認識した。

向こうが敵意を示してきたのだ。

コテンパンにやる。

やることにした。

 

 

ここからは労働基準監督署とのやりとりになる。

ごめんなさい、実用的なのはここからです。

 

前提として、労基に行くときは

「助けてドラえもん~」の姿勢で行くことはお勧めしない。

「戦うためのアドバイザー」くらいの認識のほうがいい。

実際のび太ドラえもんのことアドバイザーだと思ってたらすごい嫌だけど

 

あんまり知った口をきくと

「こいつ戦闘能力あるのでは?自分でやってごらん」となるので

いい塩梅でやるべきなのだが、

労基の人は、

人の悲しい話を聞いて「なんだって!?許せない!戦いに行くぞ!」という人たちではない。

私は3回ほど足を運んで相談したがむちゃくちゃ忙しい人たちである。

 

労基は

・現状に対して、おかしい点の洗い出し

・基本的には個人としての交渉方法をアドバイス

・本人が望めば名前も一緒に出して情報提供し企業側への調査(是正勧告)

をしてくれる人たちなのでタスケテーじゃなくて自分がなにをしたいのかを明確にするとよいです。

(辞めたいのか、辞めたくないのか、企業側に何を求めているのか、など)

 

このへんはこのサイトの内容が参考になりそう

www.vbest.jp

 

大体どこのサイトも最後には弁護士への相談を勧められるけど、自分は弁護士なしで残業代も全部取り返したので

状況によるけどそういうやり方もあるよーって参考になれば。

 

 

以下労基とのやりとりとA氏との交渉の内容を雑にまとめました。

 

■初めての労基

意味の分からない雇用契約書を渡された直後

”不当な理由で労働条件を変更されているから、この雇用契約書を飲まないためにはどうしたらいいか?”

という内容を相談し、

契約書に関する矛盾点と本来示すべき内容を

法律に基づいて洗い出してもらう

 

■A氏への交渉

A氏にそもそもの初期の契約書の矛盾点を示しつつ交渉したが、

訳の分からない理由で突っぱねられる。

「大体ね、最初の契約書は残業時間も込みの内容で・・・(以下略)」

 

永遠にけんか腰のA氏に腹が立ち、

ブチぎれて声を荒げて他の従業員の前で涙ながらに訴えるも

その後の「そんな感じでこれからやってけそ?(半笑い)」という発言で辞職の意思が固まる

 

■2回目の労基

辞める意思が確固たるものに変わったので

残業代をもらうための交渉材料を労基に相談

 

【一生使わない豆知識】

残業代の計算方法 ※残業代の算出方法がなにも定まっていない場合に限る

①1日の労働時間のうち、8時間を超える時間を算出

8時間を超えた時間を引いた上で、

 月単位で144時間(従業員10人以下の企業の法定労働時間)を超える時間を算出

→①②の合計時間を時給換算した額が残業代

みんなも計算してみて☆

 

ここで触れておきたいのが、

このタイミングで私が労基にお願いしていたのは「是正勧告」から

未払いの残業代に対する「申告」に変わっている点です。

前者は働き続ける前提で、自分の名前を出して情報提供をして

法律違反をしている内容を労基に入ってもらって勧告をしてもらう内容ですが

後者は辞める前提で、個人に対する未払い分の請求を求めています。

ただし申告にあたっては、いきなり労基が申告を請求することはできないので、

本人が企業側(自分の場合A氏)に対して未払い分の請求を交渉する必要があります。

ただし、ここで喧嘩をする必要はないので

「求める」ことと「突き返される(もしくは無視など)」の事実があればOKです。

 

要求したけどそれに応じてくれなかった場合、労基が入ります。

 

■退職願

辞める意思と申告内容を伝える。

 

わし「契約書では1か月以内となってますが法律では2週間になっているので2週間で辞めさせてください」

A「そうなると思っていた。なるべくはやく辞めれるようにするワイ」

わし「あと、労働に対する対価は支払っていただきたいので今まで未払いの残業代は請求しますね」

A「お?まあとりあえず明細見せろや」

わし「おけ」

 

■請求内容の提示

労基で教えてもらったやり方で

自分の勤務時間と残業代を算出しA氏に送り付ける


※A氏は浅はかな人間なので突込んでこなかったが、私はどこからも刺されないように勤務時間の根拠(LINEでのやりとりや他の従業員に確認した旨)を備考欄にも書いた

 

■(意図せず)最後の出勤

明細出した日の出勤日、

朝の準備をするわし、呼び出される

 

A「残業代の件だけど、早上がりの日もあったから、その分を差し引いて

(本来の時間ー20時間)で計算したものを支払うね」

わし「言っている意味が分からないので、第三者機関を入れて相談させてもらいます。」

A「・・・。そういう話は営業時間中にするもんじゃないから。」

わし「??あなたからこういう話をしてきたんですよね?笑」

A「とにかくこういう話をしている人と働けないので、今日はもう帰ってください。」

 

連休初日だというのに私に帰宅命令を出したA氏。

自分の感情でしか動けていないその様に

怒りよりも面白さが勝ったので他の従業員には丁重に謝りつつ帰宅。

 

そしてこれが最後の出勤となった。

 

■3回目の労基

打算的な兄がちょうど帰省をしていたタイミングで

事件が起こったため、兄に迎えに来てもらいその足で労基へ。

(ちなみに兄には「だから言ったのに」とは言われつつも無茶苦茶相談していた。)

 

今の事情を話し、計算内容を出力してもっていき(資料のやり取りは基本アナログ)

確認してもらい、今後の作戦会議を労基の人と行った。

 

もし、こうやって言ってきたらこう言えばいいです、

ここを指摘されたらこう言い返してください、

今後の相手の動き方を見て、私たちが動くタイミングを考えましょう、と

すごく親身になってアドバイスをくれた。

今思えば、くそニート爆誕を憐れんでいてくれたのかもしれない。

 

※ちなみに私の場合はだけど、労基の人のやり方とか態度は人によって

全然異なるから、自分がこの人とやりにくいな、とかもう少し違う人に話を

聞いてもらいたいな、と思ったら申し出たほうがいい。

1回違う人に話し聞いてもらったけど私の意見を完全否定する人で

働き続けることを斡旋してきたからすぐ今までの人に変えてもらった。

自分を担当してくれた人は頭の切れるいい人でした。ありがとう。謝謝。

 

■解雇通達

その後、LINEで今後会社に来なくていい旨をA氏から伝えられた。

そして第三者機関という言葉に怖気づいたのか、

ことが大きくなる前に私の口を金で封じたかったのかわからないが

示した金額を満額支払うことを伝えられた。

 

どこまでもA氏は器の小さい男だった。

 

無事提示された金額が口座に振り込まれ、

結局労基が会社に入ることはなく私の戦いは終わった。

 

 

ちなみに、

退職願を紙で出していたわけではなく口頭でのやり取りでしかなかったことと

退職日の通達もなく会社に来るな、と言われたため

離職票の理由の欄は会社都合になった。(というか、交渉してそうさせた)

 

 

phase6

学びと今後

あとがき的にもう少し。

もう有益な情報はここから先はないです。(今まであったのかも不安)

 

 

この戦いに、勝ちも負けもない。

 

残業代を支払ってもらえたとしても

Uターンをした時点で負けだったのかもしれない。

 

もうすこしうまいことやって自分を麻痺させて働いたら

勝ちの世界になったのかもわからない。

 

人生にとってプラマイで言ったらマイナスの方かもしれない。

それもわからない。

 

それでも私はこの答えとこの戦いはやってよかったと思う。

夢見ていたUターンができる環境ではないということと

地元の現状に絶望できたのが早くてよかった。

立ち直れないほどの絶望をありがとう。

 

理不尽なことに対して

こんなにも行動的で感情的になれる自分がいたことに自分でも驚いている。

中学のスポコン時代に出てきてほしかったなあ。

 

 

おそらく私はまた関東圏に戻る。

それが正解かもわからない。

 

戦いの直後はアドレナリンが出まくっていたから

転職活動も目ギンギンで自分の将来に思いはせながらできていたが、

ここに残る選択肢も捨てたわけではない。

関東に戻るのは逃げる形に見えるかもしれない。

し、実際逃げなのかもしれない。

 

関東圏に戻ったらおそらくあのスピードでまた働いて

稼いで生活費を垂れ流して遊んで稼いでいろんなところへ行って仲間とワイワイして

ある日また、地元に戻りたい感情が出てきたらどうしよう、と思う。

その辺の整理に時間がかかったのがブログが遅れた理由でもある。

 

ブログを始めた当初考えていた締めの内容とはだいぶ異なっている。

備忘録として書き始めて、

同じ状況の人の助けになったり

ちょっとブレーキかける一助になればなあと思っていたけど

当の本人の気持ちはモヤモヤしている。

 

まああれか、

こんな今の自分も反面教師にしてもらえばいいかです。

こういうことになるから、

気をつけろよ、みんな。

 

私は私でこの経験を自分なりに咀嚼しながら

辛くてしんどい時間を忘れないことで自分を奮い立たせて生きていこうと思います。

 

最終的に自分で自分を励ましてしまって非常に恥ずかしい。

 

 

これ以上書くといらんこと書きそうなので

この辺で。

 

長ったらしくて要領を得ない文章を

読んでいただきありがとうございました。

 

また。

 

20代の真ん中でUターン詐欺に遭った③

 

こんばんは。

今日も今日とてニートの20代男性です。

 

本日もこのブログ↓の続きです。

tsunatya.hatenablog.com

読んでいない方は①②を先に読んでみてください。

 

今回は気合入ってます。

私が目の当たりにした地元の実状をすべて書き記そうと思っておりますので。

 

それにしても人の不幸話ってなんでこんなに面白いんでしょうね。

当の本人ですら面白いですもん。

 

 

 

さ、少し時間が空いてしまいましたが

本題に入りましょう。

 

 

 

■目次

phase1.「もういいかな」の気持ちで転職を考える

phase2.天邪鬼就活を後悔 -実は地元に戻りたかった-

phase3.知人の紹介とかいう得体のしれないヤツ

phase4.地方経済/地方企業の実状

phase5.私の戦い

phase6.学びと今後

 

 

phase4

地方経済/地方企業の実状

 

移住と転職が完了し、

私のUターンライフが始まった。

 

私の地元のスペックを特定されない程度に話すと、

人口規模は10万も満たない小さなまちで年々人口は流出していく一方。

もちろん車社会で、

国道沿いを走れば「わあ、丸亀製麺路面店だ」みたいなことが多々ある

”THE地方”といったまちである。(で、大体その丸亀製麺もそのうちつぶれる)

 

高校までをそのまちで過ごしたあとは、

そのまま就職が2割、短大・専門への進学が3割、

残りが大学進学(県内にとどまるorほとんどは県外)といった具合である。

となるとまあ半分くらいの若者は関東圏に流出していくこととなる。

 

就職のタイミングで「地元がやっぱり好きとか」「実家の近くで過ごしたい」

という理由で戻る人も2~3割いるが、

もちろん就職のタイミングで関東圏に移る人もいるのでトントンといった具合。

 

何が言いたいかというと、

「Uターンで地元に戻って貢献したいと思う若者ってまだまだ少ない」

ということだ。

 

今でこそ「地方創生」「地域おこし」といった言葉が取り上げられるようになり、

中高生などの若い世代でも耳に触れられるような時代になったが、

それでもやはり一度「でて」、そこからまた「戻る」という物理的な移動と

マッチした職に就くハードルを鑑みるとまだまだ障壁は大きく、

しっかり意図した形でUターンをできている人というのはごく僅かである。

※地方の職の在り方については別でもう少し掘り下げたいと思ってます

 

そんな中でも受け皿を与えてくれたA氏(②参照)には本当に感謝していた。

 

だが問題はここからである。

ここからが本題。

 

スタートアップという話も聞いていた、

スターティングメンバーというのはやりがいの分、代償がつきものだ。

そんな覚悟はしていた。

 

そんなことより、

まちづくりの話ができる環境や

ストレスのない新しい職(東京時代は常に会社携帯が鳴る恐怖と戦っていた)

都会の喧騒とは縁遠い過ごしやすい環境(田んぼの中チャリ通勤)、

そこに満足していた。

これからここで何をしていこう、そんなことに日々想いを馳せていた。

 

職務内容としては、

「飲食業界の仕事半分、まちづくりの仕事半分」という話だったが

飲食店のほうの新店オープンがしたばかりであるため、

まずはそちらに専念する必要があった。

私は大学のアルバイトぶりに料理の説明を頭に叩き込んだ。

 

「GWまでは駆け抜けてほしい」

入社後すぐにそういわれた。

 

お店のオペレーションも0からのこのお店ではやることも課題も山積み。

コロナ禍で安定したお客様を確保するためには通常量以上の勤務は必要だと思った。

 

私以外にもう2人Uターン採用された社員がおり、

その少ない人員で業務に慣れながらお店を回すため

休みは週1のお店の定休日のみで、4月の労働時間は200時間にもなっていた。

 

それでも私は営業時間終わりにA氏にアウトプットの時間をもらったり

地元の現状や今までの取り組みについて意見を交わしあったりしていた。

それが私のやりたかったことだったから。

 

そんなこんなで無事GWまで駆け抜けた。

 

5月下旬、最初のお給料が振り込まれた。(4月分の振り込み)

そしてやっと雇用契約書が手渡された。

 

それはあまりにも簡素な内容で説明もサラッとしたものだった。

そして締めに、

「お給料の部分は、個人差があるからあとで正規のものを渡します」

と告げられて、まかない後の一瞬のミーティングが終わった。

 

その場で、その限られた情報だけで理解するにはあまりに難しかった。

「正規の契約書が来たらちゃんと読み込もう」

そう思ってカバンにしまった。

 

そしてまた次の日がやってくる、

接客をする、

皿を洗う、

仕込みをする、

レジを締める、

疲れて帰る、

寝て起きる、

次の日が来る、

接客をする、

疲れて帰る

 

次の給与が支払われる。

 

どうやらおかしい。

 

日々の忙しさにかこつけて

雇用契約書は来ないまま、

イベント営業で就業が0時を過ぎることがあっても次の日もフルタイム営業、

そもそも従業員の勤務時間の管理がされていない(タイムカード的なものはなし)

GWを過ぎたが休みは週1のまま、

残業代は200時間働いても0円、

まちづくりの仕事は半分って話だったよな…

 

気が付いたら

「スタートアップだから」という言葉では片づけられないような

問題が目の前に山積していた。

 

初月は保険料などが引かれない分、見てくれは高く思えた給与も

蓋を開けてみたら約束していた金額には満たない額だった。

 

もちろん他の社員からも不安や不満の声はあがり、

私含め会社に対して懐疑的になってきていた。

 

 

これが自分のやりたかったことだろうか?

このためにUターンしたのだろうか?

 

 

私はA氏に交渉することにした。

このままでは誰にとってもよくないことは明確だったから。

なによりも自分自身がこの環境で働き続けることが不可能だと思ったから。

 

諦めたいわけではなく、

続けるために変える必要があった。

ここで変わらなければ、私は私の地元に絶望することになってしまうから。

だから変える必要があったし、そのための話し合いが必要だった。

 

数えきれない話し合いの詳細は割愛するが、

私の主張は「法律の範囲内で働かせてほしい」、その1点だった。

 

ごく一般的で、当たり前すぎて、

なぜこんなことをお願いしているのか訳が分からないが、

シンプルな話で、私はただ、法律の範囲内で働きたかった。

(自分で打っておきながら笑ってしまう文章だな)

 

ここからの戦いの様子はphase5で細かく話をしていきたい。

 

 

 

ここまでの話だと、

私の働いていた企業だけがこんな感じなだけなのでは?

筆者の運が悪かったんだろう、という意見が想定されるが、

地方企業においてこの問題は慢性的に起こっている。

 

木下さんの著書↓の中でも出てくるが

www.amazon.co.jp

地方のほうが経営者の考えが古臭いのは実状としてあり、

「即戦力が欲しいけど高い給料は払いたくない」

「革新的な考えの人材は欲しいが会社の方針には従ってほしい」

といったわがままなニーズを当たり前のように持っていて

その結果、U・Iターンを志す人との間で仕事の内容や給与のミスマッチが頻発し

地方には優秀な人材が根付かない、といった現状に陥っている。

 

私のいた職場は複数のテナントが集まる複合施設であったため

そこにいる様々な経営者を見たが(お店に食べに来たり定例会の様子をA氏から聞いたりと交流があった)

全員がお山の大将であることは早々に勘付いていた。A氏を含め。

 

この小さなまちでは

声の大きい人や派手な行動をする人が目立てる環境にあり、

(私はUターンということだけで運よく入社2日目でテレビに出た。)

専門知識がなくても「できている」という認識ですぐ取り上げられる。

 

競合が少なく、鋭い監視の目がない状況では、

まちを作り上げるブロック1つ1つの精度が低い。

だが、まちの人間はスバラシイ!とそこにお金を落とす。

選択肢がそもそも少ないから。

 

そうやってできたまちは持続可能だろうか?

ハッタリでつくられたまちに発展性は見込めるだろうか?

カロリーメイトジェンガができるだろうか?

それはまあできそうか。

 

とにかく、

地方の現状というのは今伝えたような状況であることが多い。

※もちろんすべてではないが

 

地元が抱える問題というのはとても根深く、

自分が想像していた”ポテンシャルのあるまち”とのギャップをこれでもかと痛感した。

 

結果としてこの職場を離れることを選択したが、

今でもその選択は間違ってないと思っている。

ただ、こういった現状が生まれてしまうこと自体は

まちが生んだ大きな間違いだと私は思う。

 

もし私よりももっと若いU・Iターンを志す人がこのブログをみたら、

とても面白くない話だな、と感じると思う。

未来の芽を摘み取るようなことするな、と。

私は私のやり方でやるワイ、と。

 

その通りだと思う。この話は面白くはない。

 

ただ、盲目的になってほしくないし

残念ながらこの現実はすぐそこに存在しているものだから

上ばっか見て歩いていて足を引きずり降ろされることのほうが

よっぽど不幸だと思うのでここに記しています。

 

知っておいて損はないと思うから、ここに置いておきます。

チンして食べてね。

 

 

今日は文章がめちゃくちゃな割に

やたらまじめで長くなってしまったのでこの辺で。

 

また次回。

 

20代の真ん中でUターン詐欺に遭った②

 

こんにちは。

ニートの20代男性です。

(普段名乗ることのない自己紹介に自分でも戸惑っています。)

 

今日は前回のこの記事↓

tsunatya.hatenablog.com

の続きです。

読んでいない方はこちらから読んでみてください。

 

ざっと私の経歴をお話ししたので今回はいよいよUターンのお話を。

 

 

■目次

phase1.「もういいかな」の気持ちで転職を考える

phase2.天邪鬼就活を後悔 -実は地元に戻りたかった-

phase3.知人の紹介とかいう得体のしれないヤツ

phase4.地方経済/地方企業の実状

phase5.私の戦い

phase6.学びと今後

 

 

phase3

知人の紹介とかいう得体のしれないヤツ

 

今いる会社では

「地方創生」や「まちづくり」の仕事はできないことに

本格的に嫌気がさしてきた頃。

 

かねてからの知り合い(仮称:A氏)から連絡が入った。

 

A氏と知り合ったのは社会人1年目の終わりのころだ。

 

母からある日、

「あんたがやりたいことに近いことやっている人が●●(私の地元)にいるわよ」

と連絡が入り(母にはそういった職に就きたいことを少し話していた)、

ざっと詳細話を聞いたあとすぐ連絡先をもらい、

「夏休みの間に(あなたが経営する店に)働きにいくので話を聞かせてください!」

と半ば強引に話を聞かせてもらいに行ったのが出会いだった。

 

A氏は私の道場破りのような打診を快く引き受けてくれた。

 

初めて対面したA氏は、

私と私の母のちょうど間くらいの年齢の人で

物腰が柔らかく、物事をよく考えている人だった。

 

経営しているお店がどのくらいうまくいっているか、

お店のほかにも観光や教育などでまちづくりに関わっていること、

この町の税金の使われ方、

それがいかに地域の継続性を阻んでいるか、

このまちには何が必要なのか、

未来の展望、自分の経歴、仲間について、、、

話す内容や言い方に嫌味がなく、

とにかく色んな話をしてくれた。

 

その時の私は、正直圧倒された。

 

まちづくりで使われる言語を当たり前に使える大人は

大学の先生以外では見かけたことがなかったのに

この人たちとは同じ言語で話せる。(上からの言い方になって申し訳ない)

そしてそんな人が私の育ったど田舎に、いる。

 

私の地元に対する考え方が大きく変わった瞬間だった。

 

何にもない、なんてことはない。

このまちはポテンシャルがある。

物的資源は弱いかもしれないが、

ただこのまま人口が減っていって何も抗えずに衰退していくような

まちではないかもしれない。

わたしも地元に戻ってなにかできるのかもしれない。

 

そう思った。

 

それからもA氏との関係は続き、

帰省のたびに話を聞きに行ったり、

たまにLINEで「今こんなことをしている」といった連絡が来ては、

周りの誰にも話せていないまちづくりに対する想いを

送っては共感してもらっていた。

 

 

そんなA氏から、

このタイミングで連絡がきた。

  

「新しい事業を始めるから一度話を聞いてくれない?」

 

私はすぐに返信をした。

 

「ききます!いつがいいですか?●日か▲日空いてます!zoomでいいですか?URL送りますね!」(原文ママ)

 

食い気味にもほどがある。

 

ただ私は、とにかくそのとてもおいしそうな話をすぐにでも聞きたかった。

おいしそう、というかもう食べていたと思う

おいしい、って口に出して言っていたと思う。

ごちそうさま、まで言っていたかもしれない。

 

その時はすっかりコロナ禍で、

仕事でのWebミーティングにも飽き飽きしていた頃だったが

この日ばかりはわくわくした気持ちで10分くらい前から待機していた。

 

A氏からの話を要約すると、

「来年から新しい事業を始めて事業規模を大きくするから

そのメンバーになってくれないか?」

という内容だった。

 

しかもお給料は今の会社の手取りとさほど変わらない額。(少し落ちるが数千円程度)

ボーナスはないが、実家に戻れるし田舎の物価は安い。

日々垂れ流しの生活費や家賃代が浮いたらトントンくらい。

 

この話、断らない理由がないと思った。

 

私はその日以降、登録していた転職サイトを見ることはなくなっていた。

 

気持ちはほとんど傾いていたが、

一応、母や兄(IT企業勤め給料良し)や友人たちに話を聞いてもらった。

 

打算的に生きている兄だけが懐疑的な反応を示していたが

「また言ってらあ」と受け流し、

同じ大学でまちづくりを学んでいた友人にも背中を押してもらい、

私は、こち亀の大原部長の頭くらい固い意志とともに腹をくくった。

(体の部位が2個も出てきて分かりづらかったかもしれない、申し訳ない。大原部長の件はググれ。)

 

 

「行くなら今だな。」

 

 

 

かくして、

私は知人の紹介とかいう得体のしれないルートで

転職活動を終えた。

 

 

【解説】ここでひとつだけ解説を入れておきたいのだが、知人の紹介というルートすべてを批判したいわけではなく、そういうのって知り合いだからこそ聞きたいことが聞きづらかったり、転職活動においては一般的な「交渉」ができないから注意だよ、ということで解釈してもらえれば幸いです。自分の職場環境を整える・確認するのはキャリア形成においてとっても大事。

 

 

3年働いた会社に別れを告げ、(まあまあ引き留められた)

ルームシェアも半ば強引に解消し、(ごめん、友よ)

時節柄小さなお別れ会を催してもらい、餞別なんかを頂き、

私も大学から今までの間で関わってくれた

たくさんの人たちに手紙を書き、別れのプレゼントを渡し、

大好きな場所と、人と、思い出がたくさんの東京を去った。

 

とても涙もろい(忠実な犬とか出てくる映画は必ず泣く)私だが、

不思議と別れ際、涙は出なかった。

これから本当にやりたいことができる喜びのほうが

少し勝っていたのかもしれない。

 

久しぶりの実家。

これからいつまでになるかは分からないが

おそらくある程度の長い期間はここで住むことになる家。

懐かしくて喉の奥がきゅっとなる。

 

東京の家で使っていた家具を実家に連れてきて

なんとか住めるくらいには整えた部屋を見て

「今日から始まるぞ。」

とか独り言を言ってみたりした。

 

 

その日から私のUターンライフが始まった。

 

 

 

中々長くなってしまったので

phase4はまた次回。

 

20代の真ん中でUターン詐欺に遭った①

 

はじめまして。

私はニートの20代男性である。

 

この度、どブラック企業を辞めて(正確には辞めさせられて)

敏腕自宅警備員になった。

 

 

■自己紹介

私の浅い経歴を簡単に。

 

 ど田舎で爆誕

→地元では頭のいい、いわゆる「模範学生」

→大学から晴れて華の都TOKYOへ

→そのまま東京の企業で就職

→3年間勤務

知人の誘いで地元に戻りスタートアップの企業に入社

→数か月で退社

→ど田舎ニート爆誕

 

といったところである。

 

まだ読むのを辞めないでほしい。

もうちょっと頑張ってみてほしい。

泣きたいのはこっちだ。

 

■目的

ここでは、

ブラック企業がいかにひどかったか」といった

ブラック企業あるあるを言いたいわけではない。

 

本投稿で伝えたいことは、

 

「地元に戻って何かしたい若者が

実際に戻ってみたらUターン詐欺にあったから

今後Uターン考えている人はこれみて反面教師にしてね」 

 

「もう被害にあっちゃってて、

どうしようか抜け出せない人もこれ見て戦い方を学んでね」

 

である。

 

ただ「転職に失敗した」とは訳が違って

Uターンだからこそ、移住+転職で背負ってくるもの大きかったりとか、

愛を持って戻ってきたまちで夢が崩れていく絶望感とか、周りの評判とか、

小さい経済圏であるほど話が伝わるのも早いしインパクトも大きい。

だからこそ同じようなことは起こってほしくないし、

避けられるのであれば避けてほしい。

 

これがもし、奇跡的に、経営者の目に留まることがあるのであれば

生意気口を叩くが、実状を知り、改善に努めてほしい。

 

 

かつての私もそうであったが、

「U・Iターン」「地方創生」「まちづくり」

という言葉だけに取りつかれてしまっているアナタ。

一度、私が経験した地獄を見てほしい。

 

地方の実状(一例)と

それと戦うための手法(一例)を

お伝えしたい。

 

そのため私がUターンを決意したきっかけや

それに付随する私の経歴をもう少し詳細に話すが、

ご了承いただきたい。

 

ちにみに今は、転職活動をしつつこのブログを綴っている。

まごうことなきニートだが、

今まで未払いだった残業代もすべてもらい、

会社都合の退職のため失業手当もすぐもらえていて、

副業(主な業もないけど)で小銭を稼いで暮らしているので

精神的には落ち着いています。ご心配いただき、ありがとう。

 

本題に移ろう。

 

 

■目次

phase1.「もういいかな」の気持ちで転職を考える

phase2.天邪鬼就活を後悔 -実は地元に戻りたかった-

phase3.知人の紹介とかいう得体のしれないヤツ

phase4.地方経済/地方企業の実状

phase5.私の戦い

phase6.学びと今後

 

※今日はphase1,2 まで

 

 

 

phase1

「もういいかな」の気持ちで転職を考える

 

25歳。

新卒で入社した広告会社で働き始めて3年目。

正直私の仕事はノリにノっていた。

 

マーケティングや広告代理業務、

一部コンサルのような仕事の営業をしていた私は

受注件数が増え始め、同期や先輩も超えるような売上を上げていた。

 

ただ、ずっとモヤモヤとした感情があった。

キャリアに対するビハインドを常に感じていた。

 

業務内容も社員の雰囲気もすごくいいが、

この年次でこの給料は割に合わない、、

経験値は確かに上がった。

でも明らかにほかの大学の同期とは生活の質が違うし

コロナも相まって、倒れはしないものの業績は不振。

ここは安定した船ではない。そう感じていた。



「もういいかな」



この思いは3年目になって自分一人では抱えきれないほど大きくなっていた。

 

転職サイトにも登録した。

周りの友人にも相談し始めた。

 

そんな社会人3年目。




phase2

天邪鬼就活を後悔 -実は地元に戻りたかった-

 

転職の話の前に、私の大学時代の話をしたい。

 

大学時代、

私はまちづくりを学んでいた。

 

私の行っていた大学には珍しく(今はたくさんあるのかも)

まちづくりを学べるコースがあった。

 

ほかにもある様々なコースの中でも

国際関係(英語にはすっかり飽きていた)や

経済学(どうしても簿記をしたくなかった)、

社会学(先生があまりに右翼でウッとなっていた)など、

どれにもあまりピンときていなかった私は、

ひらがなの多い楽しそうな名前の「まちづくり」コースに進んだ。

 

決してラクなことはなかった(むしろきついコースだった)が

座学では景観保護や土地活用などハード面も学び、

空き家の活用プロジェクトに参画したり

ゼミで一つの街に入り込んで地元の人と交流しながら

マルシェイベントをしたり、町内会に参加したり、と

それなりにまちづくりにのめり込んでいた。

 

当時は「卒業できるならやるかあ」くらいの気持ちで取り組んでいたが、

今思えばすごい貴重な経験をしていたと感じる。

 

しかし、就活の時期がやってきたとき、

ディベロッパーや鉄道会社や住宅メーカーなどの

まちづくりに関する職に応募する周りの人たちを見て

 

「ははっ、たかだか本気でやったのは1年くらいなのに

みんな揃いもそろってまちづくり系の職に就くなんて。笑」

 

と意味の分からない天邪鬼な感情が出てきてしまい

私は華やかなイメージとクリエイティブな職に携わりたい

というミーハー心だけで広告業界だけに絞って就活をした。

 

【解説】私はとにかく考えすぎる性格で、考えが何周か回って最終的に意味の分からない方向に帰結することがしばしばある。ちなみに就活の時は、別に面接がパツパツで忙しいわけでもないのに集中して思考を巡らせるためにバイトをすべて休んでいた。

 

なんとか小さい広告代理店に内定をもらえたが、

テレビCMやWeb広告がそんなに好きでもなかったことには早々に気づいた。

 

幸いなことに、同期や先輩社員などには恵まれ、

様々な大手メーカーと仕事ができることは私のミーハー心を程よく刺激してくれたため

あまり知識のない業界でもなんとか3年間仕事が続けられた。助かった。

 

 

が、

いつだってこの想いはすぐそこにあった。

 

 

 

「地元にもどってまちづくりがしたい」

 

 

 

 

したかったのだ!!!!!

 

 

実は地元に戻りたかったのだ!!!!!

 

 

だが、ずっとこの感情に蓋をしていた。

ぶり返したところで天邪鬼でミーハーで愚かな就活時代の自分を責め立てるだけだ。

あの時まちづくりの業界を選ばなかった自分が悪い。

もう広告業界に片足どころか両足突っ込んで

バタ足してシンクロナイズドスイミングくらいしている。

泣いても逆立ちしても綺麗な技を決めても「地方創生」や「まちづくり」の仕事は

今の会社ではできないのだ。

 

 

今の会社では。

 

 

 

 

続きはまた次回。